ews Letter 糖鎖フラッシュ号 No.9 February, 2007 より転載
シアル酸の歴史
−シアル酸研究の始まりと私の関与−
山川 民夫 (理化学研究所フロンティア研究システム客員主管研究員
日本学士院会員)
始まり
1930 年までには脳の糖脂質として4 種のセレブロシド(ガラクトシルセラミド)が知られており、19 世紀末の J. L.
W. Thudichum の発見以来ドイツの E.Klenk が貢献した。その後スウェーデンのG.Blix がスルファチドつまりセレブロシド-6 硫酸を発見したが、1952
年山川がそれをセレブロシド-3 硫酸と修正した。この3名が後年シアル酸の初期の研究に携わった(図1)。
これらの比較的単純な糖脂質とは別に1925-1927年にロックフェラー研究所の K. Landsteiner とP. A. Levene はウマの腎臓からフォルスマンハプテンを分離精製中にオルチンー塩酸―硫酸銅の試薬と加熱すると赤紫色の呈色反応を示す粗製の糖脂質の存在を報告した。一方、ドイツの脂質研究の本山である
Thierfelder 門下の E. Walz は1927 年にウシの脾臓に粗製の糖脂質がやはりオルチン-塩酸-塩化鉄試薬で赤紫の呈色を示し、鉱酸と加熱すると黒い沈殿を生ずると記載した。これら両者の発見は後年のガングリオシド及びシアル酸の発見の端緒を示唆するものといえる。
しかしながら、Thierfelder 門下であるケルンの Klenk が1936-41 年に亘る研究によりTay-Sachs 病の患児脳に蓄積する特殊な糖脂質としてガングリオシドを発見し、さらにその成分であるノイラミン酸を記載したことは、この問題に一つの区切りをつけたと言える。しかも彼は結晶化したノイラミン酸に対してC10H19NO8 かC11H21NO9 という分子式を与えた。
ところがそれより数年前、1936 年にBlix はウシの唾液腺のムチンから「炭水化物 I」と名付けた結晶を分離し、それは Ehrlich のパラアミノベンツアルデヒド試薬で赤色を呈すると記載した。Blix
は彼の物質はアセチールヘキソサミンと一種のデオキシヘキスロン酸の結合物でこれこそはガングリオシドの成分であると想像し、Klenk のノイラミン酸の存在を否定し、分子式としてC14H24NO11 を提示した。1951 年、Blix らは脳のガングリオシド中にガラクトサミンを検出し、Klenk のノイラミン酸なるものはガングリオシド中の「炭水化物
I」が分離操作中に水酸化バリウムと長時間加熱したので生じた分解産物だと言った。同年 Klenk は水酸化バリウムの操作なしにガングリオシドからノイラミン酸を得て
Blix の批判に反論した。このように両者の論戦は熾烈を極めたが、そのうちにガラクトサミンもノイラミン酸もガングリオシドの成分であることが判って決着した。
その頃、日本では東北大学医学部の正宗一教室が糖質の生化学を広汎に研究しており、1938 年門下の田辺は舌下腺ムチンから Blix の物質を分離しようとし、また檜山は
1949 年同様な挑戦を試みたが、Blix が記載する方法では結晶を得られなかった。しかし檜山は非結晶物質を強アルカリと加熱してピロールα-カルボン酸を得、それは
Ehrlich 試薬陽性であった。更に彼は Blix の「炭水化物 I」に対して推定構造式を提出したがこの式は後年1955年 A . Gottschalk
が正しい構造式を提示するに当たって非常に参考になった。
私の関与
1944 年、私は医学部を卒業して東大伝染病研究所(現在の医科学研究所)に入り薬学の研究者ばかり集まった化学研究部に所属して有機化学の手技を勉強していた。伝研は戦時中より医療用の抗血清やワクチン製造の国のセンターであり、その頃も数多のウマが抗血清の生産のために飼われていた。製造工程で分離された血清は重要だが誰も残りの血餅には注意を払わず捨て去られていた。その頃の東京は空爆と敗戦の結果、廃墟となり研究材料もなく何を研究すべきか皆が迷っていた。私は種特異性の抗原が赤血球の表面の膜に存在していると考え、それを単離しようと思った。それまでに習い覚えた脂質を手始めに抽出することに着手した。莫大な量の血機を生理食塩水でほぐし、遠心分離機で赤血球を集め、大量の希酢酸水で溶血し大遠心機で何度も遠心して洗うと多量のゴースト、つまり血球膜が得られる。それを当時流行し始めた凍結乾燥で乾燥した後、エーテルーメタノールで抽出すると大量のコレステロールや燐脂質がえられる。残渣をクロロフォルムーメタノール混液で連続抽出すると黒褐色の物質がとれてきたが、それはオルチン試薬で赤紫の呈色反応が陽性の糖脂質であった。その頃は戦後間もなくで国外からは学術文献は輸入されず、日本の生化学者は誰もガングリオシドやノイラミン酸の名前すら知らなかった。私は偶然入手した
Annual Review of Biochemistry (1943) に S. J. Thannhauser の書いた脂質の総説を読んでその存在を知り、赤血球のこの物質こそはガングリオシドではないかと思った。然し完全に同じ物質かどうかは判らないので、一応ヘマトシドと名付けて区別した。これは今では
GM3 の名前で呼ばれる。やっと入手した Klenk の論文を参照してヘマトシドをメタノリシスして脂質部分をのぞき脱塩し冷蔵庫に放置すると、ある日コルベンの壁に綺麗な結晶が生じた。これこそKlenk
のノイラミン酸 (メトキシ体) と思ったが若干性状の記載に違いがあったので、一応ヘマタミン酸と名づけて区別した。私はそれにC10H19NO8 の分子式を与えた。私はヘマトシドの構成は長鎖脂肪酸:スフィンゴシン:ガラクトース:ヘマタミン酸が1:1:2:1
と考えた。
その頃、Ernst Klenk は正にドイツ生化学会の大御所で多くの門下生と共に輝かしい論文を多数発表し世界の脂質生化学会に君臨していた。我々の研究室には少量の脂肪酸分離のためにKlenk
の装置があり、彼は雲の上の存在であった。それに引き替え私は一介の素人生化学者で日本でも全く無名の存在で、私の研究などは Klenk の名声の前には無視されるのではないかと思つた。私はヘマトシドの仕事を英文に纏めて日本生化学会が刊行しているJournal
of Biochemistry に投稿するとともに Klenk へその原稿を送り、彼の意見を尋ねた。数ヶ月後、彼から返書がきた。そのドイツ語の手紙にはまず私の仕事に非常に興味を持ったことが書かれていた。然し現在自分はヒトの赤血球の糖脂質の研究をしているがそれにはノイラミン酸が無く、その代わりにグルコース、ガラクトースの他にガラクトサミンがある。これまでに自分が分離した脳のガングリオシドの標品にはすべてガラクトサミンが含まれているが君のヘマトシドにガラクトサミンがあるかを検討してほしい。なおノイラミン酸とヘマタミン酸の異同については旋光度を測ってみたまえ。というものであったが私はすでに旋光度は測定してあり全く同一物質であることは疑っていなかった。
Klenk の手紙の内容は 1951 年に論文で詳細に報告された。私は早速ヘマトシドにガラクトサミンが含まれていないかを検討したが加水分解後にヘキソサミンの特異反応である
Elson - Morgan 陽性の物質は検出されずヘマトシドと脳のガングリオシドは異なることが示された。その時、私は赤血球の糖脂質がヒトとウマで違うなどとは考えられないと思っていた。さらに、Klenk
が使ったヒトの血液は 8 年間アセトン中で保存された古いものであるとの記載があったのでノイラミン酸が分解されてガラクトサミンになったのではないかと想像した。なぜならヘキソサミンはノイラミン酸の前駆物質の可能性があると考えていたからである。その頃は売血によってブラッドバンクなどで乾燥血漿が製造されており、赤血球はいわば産業廃棄物として捨てられていた。そこでまだ新鮮なヒト赤血球をいただいてきて糖脂質を分離した。それにはグロボシドと命名したがノイラミン酸はなく
Klenk の言うようにガラクトサミンが含まれていた。グロボの名称は現在スフィンゴ糖脂質の分類に用いられている。
その頃、ノイラミン酸類似の物質があちこちから報告されてきた。R. Kuhn (1954) はウシの初乳からラクタミン酸、P. Gyoergy (1955)
は母乳からジャイナミン酸、山川 (1955) はウマ血清からセロラクタミン酸を報告していた。1957 年には Blix, Gottschalk, Klenk
は連名で Nature 誌上でノイラミン酸は置換基なしのコア構造、シアル酸とはそれにアシル基がついたグループを指すという命名法を唱えて整理した。それ以前に
Blix のグループはアシル化されたノイラミン酸を唾液のギリシャ語に因んで Sialic acid(日本語でシアル酸)と命名していた。
種差
ヒトとウマの赤血球糖脂質の糖鎖部分の構造が全く違うことが判ったので、入手し易い他の動物の赤血球糖脂質を調べてみた。ヘキソサミンとシアル酸を比色法で測定してみると三つの群に大別された
(図2)。1 群はヒト、ブタ、モルモット、ヒツジ、ヤギ、ウサギなどでヘキソサミンは在ってシアル酸が無いグロボシド型、2 群はウマ、イヌ、ネコなどでシアル酸はあってヘキソサミンはないヘマトシド型、3
群はガングリオシド型で両者を含み、それにはウシが含まれる。グロボシド型でもウサギとウシではガラクトサミンの代わりにグルコサミンがある。このように哺乳動物の赤血球の主要糖脂質は動物種によって全く違った構造を持つことが判った。

化学構造の研究
シアル酸の化学構造の決定には多くの人が携わり、いろいろな構造式が提出された。私が 1952 年にメトキシヘマタミン酸に対して分子式
C10H19NO8 (分子量281) を提出した理由は滴定法とDumas の乾式窒素測定値によったが、一方 Klenk のグループが C11H21NO9 (分子量311) と考えた訳は Kjeldahl の湿式窒素測定法によったもので、彼らは最後までノイラミン酸を骨格 C10 化合物と考えた。それに対してわたしは骨格
C9 を主張した。山川、Klenk, Gottschalk らはそれぞれ構造式を提出したが結局 Gottschalk (1955) の式が正しいとされ、その後
R. Brossmer や S. Roseman が立体配置などを研究し、現在の式が決定された (図3)。

グリコリールノイラミン酸の問題
1955年に Blix のグループは顎下腺ムチンのシアル酸のアミノ基は動物の種によって異なる修飾を受け、ヒツジではアセチール、ブタではグリコリール、ウマではジアセチール、ウシではアミノ基と水酸基にアセチール基が付くと報告した(図4)。既に述べたように哺乳動物の赤血球はそれぞれ固有の糖脂質を持つ。ヘマトシド型ではウマは1
モルの NeuGc、ネコは2 モルの NeuGc を持っている。私のグループの飯田静夫は1964年にイヌでは NeuAc が73 % 、NeuGc が27
%と報告していたが、一方 Klenk, Heuer (1960) はすべて NeuAc と報告しており、この違いは私どもにとって長い間の謎であった。1978
年に我々の教室の安江 (浜中) すみ子と飯田は他の実験のために使われたイヌ1 匹ずつから採血して調べていたが、或るイヌでは NeuAc、他のイヌでは
NeuGc を持っており、両方を持つイヌは無かった。1964 年の我々の仕事では数匹のイヌの血液を混合して糖脂質を分離したために両者が混じったのであった。更に我々の用いたイヌは雑種であるので、どの品種のイヌが
NeuAc をもつか NeuGc をもつかを決めたいと思い、東大農学部獣医学科の家畜病院の協力をえて、そこで診察を受けるいろいろの品種のイヌの血液を調べた。すると所謂ヨーロッパ系のイヌは例外なく
NeuAc 型のヘマトシドを持ち、東洋系の柴犬、甲斐犬、紀州犬、などの日本犬、韓国や中国産のチン、ペキニーズ、珍道犬などには NeuGc 型のヘマトシドが現れた
(図5)。柴犬は天然記念物に指定されているが特別に保証された家系のイヌの血液を調べると NeuGc 型は常染色体優性で遺伝することが判った。当時岐阜大学の田名部雄一教授が多くのイヌの血清中の酵素蛋白の集団遺伝学的調査から日本犬の起源を研究されており我々の研究が図らずも同氏の研究にお役に立った。NeuGc
は NeuAc よりも酸素1 原子多く、NeuAc にある種のモノオキシゲナーゼが触媒して酸素が転移するが、その反応には R. Shauer らによりCMP-NeuAc
の段階で起こるとされていた。その詳細なメカニズムは私の協力者でこの講演の座長である鈴木明身のグループにより解析され、Cytochrome b5 の関与する水酸化反応が本体であることが発見され、水酸化酵素がクローニングされた。さらにヒトではこの酵素遺伝子中に92
塩基対の欠失があり、これがヒトの組織で NeuGc の欠損する原因であることが明らかにされた。ヒトの組織にはほとんど全く NeuGc は存在しないがチンパンジーには存在する。A.Varki
はその欠失はチンパンジーからヒトの祖先に移行した後に起こったと報告している。

シアル酸研究会
1980 年にシアル酸の研究者が小倉治夫教授の肝煎りでシアル酸研究会を発足させ、毎年セミナーを開き時々は日本を訪れる外国の研究者を招待して講演を依頼した。1988
年の5 月にはSchauer 教授と私が組織してベルリンの日独センターで大シンポジウムを行い、440 名が参加した (図6)。これらの活動は国際シアル酸会議の礎となった。

最後にこの機会を与えて下さった鈴木康夫、木曽真、北島健の諸教授に感謝します。
